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出来てるかどうか分からないという問題 [ASDの哲学]

私がこのブログを始めたばかりの時の記事だが。
http://asd1chronicle.blog.so-net.ne.jp/2016-06-28
私が子供の頃(といっても就学前とかの話ではない)「頑張れば必ず出来る」的な言葉を、頑張っているから出来ているものだと思い込み、出来ていないと指摘されても、頑張ったから出来てるのに何言ってるんだと思っていたという話だ。
これは、単なるASDのおもしろ誤学習の例だと思っていたが、実は案外、私の子供の時の人間に対する不信感に根深く広く影響していた勘違いではなかったかと最近になって思い始めた。

私は子供の頃よく、「なんで嘘つくの?」と言っていた覚えがある。友達にしても、親にしても、先生にしても。それは、ASDの人は社交辞令が分からないからだと自分でも思っていたが、必ずしもそればかりではない。その例こそが、「頑張れば必ず出来る」である。
あぁなるほど、頑張っても出来ない場合があるのに、先生がそうやって言うのを嘘ついてると思ったのね、と普通の人は思うのだろうが、そうではなかった。「出来るという概念を理解してなかったから、出来るということは、他人に「出来たね」と言われることだった」のである。
それが、「なんで嘘つくの?」につながる理由は、「頑張れば必ず出来る」と言った当人が、私が頑張ったのに「出来てない」と言うのは嘘つきで意地悪だ、というわけである。頑張ったから出来ているはずだし、「出来たね」と言えば済む話なのにそれを頑なに拒むのは得体の知れない意地悪である。

ASDの気が少ない読者諸賢は、出来るという概念が分からんなんてあるんかいな、と思うかもしれないが、実際、集団行動で周りと違うことしてても気づかないなんてのは高校生になってもあった。周りに「おかしい」と言われるから気付くのだ。(ちなみに、出来ることと出来たと評価されることの違いはさすがに高校生では知っていたが)

先生や親はまぁまぁの確率で、私の感覚で言う「変な嘘」をつくのである。頑張れば必ず出来るみたいな精神論は、大人から子供にはよく言うものであるから、私が覚えていない類似の事例も多くあったろう。しかもその当人たちは、これは嘘ではないという。余計に信用ならない。いじめっ子や意地悪な先生がわざと嘘をつくなら話はわかるが、そうじゃない大人でも一定確率で嘘をつく。そういうもんだから、私はそれを受け流さなきゃならない。

だが子供はそれなりに学習するもので、頑張れば出来るって言うのに「出来てない」と言われ、頑張れば出来るというのが嘘ではないと教えられると、今度は、出来てるのに意地悪して出来てないと言っている、と思い始めるのだ。そうなると「出来ること」と「出来ると言われること」が違うということを理解するようになる。大人になるまでにこの種の誤学習が直っていたところをみると、回り道だがこれでも正しい認識には通じる道だったのだろう。
しかし、私のような種類のASDにとっては、哲学すること、言い換えれば自分の認識を疑い、思索することは、人生の必須科目だと感じた。周りの人間は変なことするけどそういうもんだろで終わっていたら、誤学習も放置で生きていたかもしれない。
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